大船渡市の郷土芸能のさらなる発展と継承を目指して

碁石七福神

koishi

由来伝承

今から750年位前、日本三景で有名な仙台の松島に青松寺というお寺があり、そこに3000余名の僧兵がおりました。

当時、北条時頼は10,000の軍勢をもって青松寺の僧兵を襲い、寺を焼き払ったとされております。
その頃、隠れ残った僧兵20余名は、宮城県の「のびる浜」から1隻の船に宝物や食糧などを積み、陸中海岸沿いに北へ進み、牡鹿半島より金華山、竹の浜、大須の羽坂浜、唐桑の尾崎浜と下船し、最後に陸中海岸国立公園碁石岬の近く泊里浜に3名上陸されました。

上陸にあたって手引きしたのは、1人のおばあさんであります。
このおばあさんが夜遅くまで仕事をしていると、7日7晩も笛や太鼓の囃子が聞こえ、不思議に思い泊里浜に出て見れば、沖の岩先に1隻の船がおりました。

地元の人達の協力で、この船を泊里浜に引き上げ、熊野神社と名付け祀ったとされています。
泊里沖に大きな島があり、その頃おばあさんは、着物の糸を取るため麻を水につけていました。
しかし、その麻が腐ってしまったことから、この島を麻腐島と名付け、地元の皆さんに愛されております。

熊野神社には今でも国光の銘刀をはじめ数多くの宝物や船の船首等が残っています。

碁石沖には漁船の遭難が多く、死者の供養と五穀豊饒、家内安全、商売繁盛、大漁祈願を祈り、この七福神舞が出来たものです。
碁石七福神は、今から150年前頃から熊野神社秋祭りに踊られておりました。
故・古坐与八先生は120年前頃に面白く振り付けされ、親睦と文化、地域の宝物として大切に受け継ぎ守られております。

                

特徴

この七福神は、笛や太鼓のリズムに合わせて、軽快かつダイナミックに舞うのが特長です。

              

団体名 碁石芸能保存会
芸能名 碁石七福神(ごいししちふくじん)
発足 昭和40年4月
代表者名 大和田初男
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