大船渡市の郷土芸能のさらなる発展と継承を目指して

川原鎧剣舞

_02

由来伝承

川原鎧剣舞(かわはらよろいけんばい)は、「平家一族の亡霊退散・浄仏」を演舞化したもので、お盆の日中に寺院や初盆を迎える家々を回り、神仏に回向するものです。

由来は、

    「元暦元年(1184年)、平家一門が壇ノ浦にて亡びた後、源義経が兄頼朝と不和になり、摂津の国から船出し九州に渡らんとせし折、間もなく海上が俄かに暴れはじめ、波の上には平家の亡霊が武者の姿となって出現し、義経一行を苦しめたるを、武蔵坊弁慶が経巻を取り出し、経文(ササラ)を高らかに読み上げ、遂に亡霊を退散・浄仏せしめたるを踊りにしたものという。
    踊りの中で持つ、竹を編みて作りたる「ササラ」というは、紙のない時代に、割竹に経文を記して経巻を造りたるあり。ササラは、その経巻の形なり。ササラを持つ踊り手は武蔵坊弁慶、その他は平清盛、平知盛など平家一門の亡霊なり・・・・・」(川原部落口伝)

とされています。

川原鎧剣舞・起源伝承

江戸時代後期に、大川原で奉公人として働く源蔵が、習い覚えた剣舞(けんばい)を立根村川原部落の青年有志に伝えたのが起源とされ、以降、菅生家を庭元として伝承されてきました。

この間、一時中断するも復活し、昭和11年には立根町(たっこんちょう)川原(かわら)地域(ちいき)と久保(くぼ)地域(ちいき)の住民が保存会を結成し、現在は、お盆の回向(えこう)(安(あん)養寺(ようじ)や初盆の家々を回り奉納)、地元の児童・生徒への伝承、各地の郷土芸能まつりに出演するなど、積極的に活動しています。

特徴

踊りは4部分からなり、「打込(うちこ)み」、「念仏(ねんぶつ)」、「中踊(なかおど)り」までは円になって踊り、最後の「引刃(ひきは)」では平家の亡霊7人が一列になってササラを持つ武蔵坊弁慶に襲いかかります。しかし、弁慶の唱える二十八経文の法力・仏力により1人ずつ退散・浄仏させられます。

踊りの演目は次の4つです。

  1. 扇子の踊り
    「打込み」から「中踊り」までは扇子を用い、「引刃」では剣(たち)を持つ、初庭墓参の踊り。
    唄は「七つ子和讃」
  2. 綾の踊り
    「打込み」から「中踊り」までは、両手に線香の束を表す「綾」を用い、「引刃」では剣(たち)を持つ、栄枯盛衰と人の世の無常をうたう踊り。
    「線香踊り」とも言われ、唄は「朝日長者」
  3. 剣の踊り
    「打込み」から「引刃」まで剣(たち)を持ち、現世の無常を知らせ仏の慈悲を讃えるともに、現世の儚さを知らせる踊り。
    唄は「帰命長来花和讃」
  4. 薙刀の踊り
    「打込み」から「引刃」まで薙刀(なぎなた)を持ち、仏道の広大なる教えを知らせる踊り。
    唄は「三国一の富士山」

踊りの特徴と構成

川原鎧剣舞は別名「綾剣舞(あやけんばい)」とも言われ、織り成す動きが鮮やかな踊りです。また、平家一族の亡霊を浄仏させる時に用いたる線香とも言われ、「線香踊り」としても名高いものです。

川原鎧剣舞は、踊り手、胴踊り、笛吹きで構成されます。
このうち踊り手は8人で、竹製のササラ(経文を記したもの)を持って踊りを指揮し平家の亡霊を退散・浄仏させるのは武蔵坊弁慶で、その他の7人は平家一族の亡霊です。
主剣舞(しゅけんばい)は平知盛の霊、前殿(まえしんがり)は平教盛の霊、後殿(うしろしんがり)は平教経の霊、中踊(なかおどり)は平重衡の霊、若面(わかめん)は平敦盛の霊、二剣舞(にけんばい)は平宗盛の霊、一剣舞(いちけんばい)は平清盛の霊と言われています。
また、胴踊りは、僧兵にして太鼓(舟べり)をたたき念仏和讃(ねんぶつわさん)を唱えるもので、笛吹きは御供僧兵と言われています

kawahara

団体名 川原鎧剣舞保存会
芸能名 川原鎧剣舞(かわらよろいけんばい)
発足 昭和11年7月
指定日 昭和44年4月1日
代表者名 及川健太郎
連絡先 このホームページよりご連絡ください。

お気軽にお問い合わせください。

PAGETOP
Copyright © 大船渡市郷土芸能協会 All Rights Reserved.